「Team B.B.」カテゴリーアーカイブ

「Team B.B.」設立の軌跡5

チームとしてというよりも「Team B.B.」として安定し始めたのは、
宇治市立木幡中学校の体育館を利用できるようになったことが大きい。

毎週日曜日の18時~22時。
決まった時間の決まった場所で。

とりあえず日曜日の18時~22時の間に木幡中学校にいけば、バスケットができる。
そう思えるだけで、バスケット好きの人間には変な安心感を与えることができる

またそれと同時に「居場所」のようなものを見つけることもできる。
「卒業」のないチーム、それが僕の求める最高のチームです。
そもそも、何故この体育館を使えるようになったのか。
これはもう全くのラッキーです。

中学校には設立当初からお願いはしていたのですが、
常にいっぱいのため、利用できませんでした。
利用する権利を獲るためには少なくとも一年以上は我慢しないといけませんでした。
しかしながら、先に利用権を得ていた後輩との縁もあり、
そのチームと共同で体育館を利用できることになったのです。

バスケットボールをするには少なくとも10人は必要。
そんな単純な理由から、人数の少ないチームと共同で使わせてもらえるようになったのです。

ハマグチ マサユキ

「Team B.B.」設立の軌跡4

Team B.B.の名前は、
チームメンバーの女の子の発案から命名されました。

その女の子がcelebなため、正式名称は「Team B.B. presented by celeb」。
なんともいい加減な名前…。

Teamという言葉には「家族」と同義、もしくはそれ以上の関係という意味を勝手に込めています。
(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0)

B.B.の意味は
BasketBallとういう意味も込めていますが、
それは安易すぎです。

celebはもっと安易でした。
Team B.B.は毎週日曜日の18時~22時までの活動時間のため、
当然バスケットボールをした後はお腹が減ります。
京都府の宇治市、六地蔵にあるBigBoyというお店に行くことが多いため、
その場でつけられた名前でした。。。
(参考:http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&pg=1&ino=BA689280&grp=bigboy)

B.B.という意味には他にも意味があります。
しかいながら、これに関しては誰にも共有していないため、また後日。

ハマグチ マサユキ

「Team B.B.」設立の軌跡3

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京都府の宇治市にある黄檗体育館。
宇治市のバスケットボールプレイヤーであれば、
思い出がない人はいないでしょう。

私自身、この黄檗体育館で、笑い、泣き、青春を謳歌しました。

Team B.B.の第二回は公共の施設を借りて行うことになりました。
格安で借りることのできる中学校はお預け、
とにかく少しでも早くメンバーを集め、バスケットボールがしたかったのです。
が、バスケットボールをやるというよりも、
バドミントンをしたり、ドッヂをしたり…と。
まだまだ真剣にバスケットボールをする環境ではありませんでした。

その上、公共の施設を借りてはいるものの、使用料が結構高い。
約8,000円/回(4時間)。
一人500円くらいの会費は、毎回かさむと結構痛い。

・高校生からはお金はとらない。
・初回訪問の方にはお金はとらない。

これが、このとき決めたポリシーとも言えるTeamB.B.のルールとなりました。

ハマグチ マサユキ

「Team B.B.」設立の軌跡2

2005年7月17日(日)

まだ名前もないチームが結成される。

何年かぶりにするという人もいれば、初心者もいる。
縁があって会場は西宇治中学校をお借りしました。

男女混合での実力差バラバラの試合。

中には現役の高校生もおり、つまらなさそうにしている姿を見て、
大学1・2回の自分を思い出しました。

その高校生がいなければ、集まった人数は10人弱。
出だしから、チームの存続の危機でした。

利用したかった木幡中学校もいっぱいの状態。
人数もいなければ、体育館もない。

当然ボールは個人のものしかない。

何もない状態から、何がなんでもチームにしたいと、
僕の目標が明確になった日でもあります。

ハマグチ マサユキ

「Team B.B.」設立の軌跡1

立ち上げに至った経緯を話させていただきます。
これからもずっと永続的にその想いが続くことを願って。

立命館大学在学中の間、幾つかのサークルやクラブチームに参加し、
様々なチームでプレイさせていただきました。

しかし、そのどれもに満足できず、
結局決まったところに行くことはありませんでした。

ある程度レベルが高く、本当にバスケットを“楽しめる”チームがなかったのです。

ずっと悶々としながらも、
バスケットボールへの情熱は風化することはありませんでした。

「なければ作ればいい。」と一念発起。
いつでもココにいけばバスケができる。
いつでもココにいけばみんながいる。
「卒業」のないチームを作りたい。

そんな想いから、3回生の夏、まずは人数集めから始めたことを覚えています。

ハマグチ マサユキ